6月のある日、某有名IT企業に行く為にJR山手線で恵比寿に向かっていた。
新宿を過ぎたあたりからなんとなく腹痛が・・・え゙(゚◇゚;
『も、、もしや これは・・・・orz 』
血の気がひき始めてきたので急いで原宿で下車。
苦しくて速く歩けない。カタツムリのような超低速で改札口へ。
改札を出て、どこか休めそうな所はないかあたりを見回す。
しかし、店を探している余裕など無い状態にない程痛くなってきたので駅員に気分が悪い事を告げ駅長室へ案内される。
街中でいきなり救急車を呼ぶ勇気なんてなかった(^^;
実は、この前の年から右腹に慢性のはっきりした鈍痛を抱えていた^^;
結石である事は間違いないだろうが・・・、なんとなく我慢して毎日を過ごしていた。
そしてこの日なんと左まで痛み出してお腹全体が痛いような感じになっていたのである。
恐ろしいほどの量の冷や汗が出てワイシャツが本当にびっしょりになった。 駅員に『ものすごい顔色悪いですよ? 救急車呼びますか?』と言われたが 『持病なので少し休めば大丈夫です』と断固拒否。 その日は雨で湿度も高く嫌な天気だった。 クーラーの少し効いた部屋で休んでいたら何となく楽になってきた。 その旨を告げて礼を言い、駅長室を出て急いで自宅に戻る事に。 約1時間後、自宅についたらすっかり元気。。(^^;)
この日、両腎に石がある事を経験者としてはっきりと自覚した。
■ そのまた翌年 春 シーズン2の始まり
6月の激痛から9ヶ月(^^ゞ
まだ、放っておいたのか・・・と言う感じ。
色々な事情で時間的余裕ができた。
と言うより、この痛みの状態からもかなり酷いと確信していたので本気で治療を考えて時間を作った。
将来の事も考えてやっと病院に行く決意したのです。
痛みはいつもの軽い鈍痛しかない。
『どうしよう・・・』としばらく放置してから自分で調べ始めました。
もうこの時点ではネットもある程度一般化していて情報も多く、前回の様に親任せでは無く(もう他界してるし)自分でしっかり調べて どうやって治すかを初めて自分でしっかり考える事ができました。 無理なく通える範囲のESWLのある病院も2箇所ほど目星をつけました。
自分で結石と確信しているものの10年以上経ってるので、もし全然違う病気だったらと思い、 専門病院に行く前にとりあえず通いやすい近場の泌尿器科のある病院で診察を受けてみる事にした。 その日(金曜日)はエコーだけおこなって石がある事は確認できた。 専門病院では無いので泌尿器科の先生の都合で翌日(土曜日)造影剤を使ったレントゲン検査を受ける事になった。
さて結果は・・・先生:「うん、結石だね。 10年もレントゲン撮ってなかったの?」
私:「はい」
先生:「駄〜目だよ〜ほっといちゃ〜(笑)」
私:「やはり破砕ですか?」
先生:「わかってるんでしょ?これじゃ自然に落ちないし」
私:「へへへ (^^ゞ」
結石はほんと自己管理できる病気です。 一度かかったら再発のチェックや治療は自分で管理できますからね。 まぁ、こんな感じで先生はずっとニコニコしながら破砕の設備のある病院への紹介状を書いてくれました。^^; 結石は右腎に3.5cm×2cmくらいの大きな塊(結構色が濃い)と左腎に2cm×0.9cmくらい(薄い色)だったかな? 左右1塊ずつでした。 ちょっと笑えない大きさです(-_-;
紹介された病院は、その前に自分でネットで調べ上げて最初から『破砕はここでやろう』と思っていた板橋の破砕が得意な大和病院。 なんて好都合な。 最初から大和病院へ行っていれば余計な初診料と検査代かからなかったのに・・・。 でも10年ぶりだったし自分に覚悟をさせる為の検診が必要でした。 大和病院は早くからESWL(体外衝撃波結石破砕術)を始めた病院の一つで、 設備も整っているし、症例数も物凄く多い病院、しかも家から遠くない(バイクで30分)という、好都合な病院でした。
さて、このシーズン2の結石は右に500円玉級のでかい結石と、左にも昔の石よりでかいのが・・・って事です(-_-; シーズン1の自然治癒で落せた物も自然排出できる大きさとしては限界クラスでした。 今回は割らずに自然排出は無理な更に大きいサイズです。唯一の救いは10年ほど前とは違い破砕術が保険適用で行える時代になっている事。 ここから破砕を繰り返すシーズン2が本格的に始まりました。